ここ数年で流行っている言葉として「サブカル男子」や「サブカル女子」なんてものがありますが、そもそもサブカルというのは何なのか。
Wikipediaにはこう書いてあります。
サブカルチャー(英: subculture)とは、ある社会で支配的な文化の中で異なった行動をし、しばしば独自の信条を持つ人々の独特な文化である。「サブカル」と略されることが多い。主流文化に対し、一部の集団を担い手とする文化を指す用語で、副次文化ないし下位文化とも訳される。
ここでも記されているように、サブカルというのは主流文化に対して副次的である文化という意味合いで使われる言葉です。
もう一度敢えて言わせてもらいますが、あくまで副次的な文化こそがサブカルの定義なのです。
副次的な文化とは
副次的というのは、主流であるものに付随するものであったり従属する関係性であることを指します。
つまり副次的な文化、つまるところのサブカルというものは主流文化に付随、従属するものであり、自体が本流でないからこそのサブカルなのです。
主流文化というのは、文化が形成されている社会の中で支配的なもの。
具体的な例を挙げるのであれば古典音楽や古典文学、古典美術などのいわゆる学問対象となりえているような文化のことを言います。
そういった学術の対象とならないようなアニメやゲーム、バンドなどの文化。
これらが主流文化(メインカルチャー)の副次(サブ)的な文化としてサブカルチャーと呼ばれていました。
しかし冒頭でも述べたようにサブカルという言葉が世間でも通用するほどの認知度を持ち始めたのがここ数年です。
サブカルのメインカルチャー化
2年前の夏に公開され、社会現象にもなったアニメーション作品「君の名は。」についてはわざわざ説明するまでもなく知っているでしょう。
千と千尋の神隠し、タイタニック、穴と雪の女王に次いで歴代興行収入4位であることからも、日本人に広く受け入れられたことが分かります。
しかし監督の新海誠氏の過去作「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」もある程度ヒットしたにも関わらず、一般層にはあまり認知されていません。
これら作品を知っていて評価していたのは、いわゆるサブカルという畑にいる者たちでした。
そして同様に「君の名は。」において「前前前世」を含め、作中に登場する4曲の全ての楽曲提供を行なっているRAD WIMPS。
彼らも元々はサブカル畑出身ですが、今やその人気は一般層にまで浸透しています。
他にもマトリョシカ、パンダヒーロー、結ンデ開イテ羅刹ト骸などの人気ボカロ曲を数々生み出したハチ。
現在、本名である米津玄師として多くのCMやドラマに楽曲提供を行い、人気俳優である菅田将暉とコラボしたり武道館で単独ライブを行うなど、今やその人気は計り知れません。
また、ニコニコ動画黎明期に「思い出は億千万」でネットで圧倒的な人気を誇ったゴム。
現在は、フェルナンドPという名義でHoneyWorksというプロジェクトを立ち上げ、女子中高生を中心に熱狂的な支持を得ています。
二人ともニコニコ動画というサブカルを飛び出し、今やメインカルチャーとして多大な人気を博しています。
サブカルチャーを牽引してきた彼らが今や、メインカルチャーとして台頭しているのは間違いない事実です。
僕はフラッシュ黄金期の辺りからネットにハマり初め、ニコニコ動画に関しても億千万、陰陽師、テニミュなどをリアルタイムに見て育ってきました。
ですので、ニコニコ出身の彼らが主流文化として世間からキャーキャー言われているのは、なんとも言えない不思議な感覚です。
しかしこれこそがまさに、サブカルのメインカルチャー化ということでしょう。
サブカルは死滅した訳ではない
過去にサブカルとされてきたものが徐々にメインカルチャー化してきたのは疑いようのない真実ですが、何もサブカルそのものがなくなったという訳ではありません。
一般的に「サブカル」と聞いてイメージされるようなものが今やサブカルではないという話であって、それがメインカルチャーと化したのであれば、新しく別の副次的な文化が生まれるだけのことです。
それ自身が少数派である限りはそれはサブカルであり続け、メディアなどで取り上げられて一般層からの人気や認知を得られるようになってくればそれはメインカルチャーに変わる。
ただそれだけのことです。
これは個人的な感覚なのですが、ある一定のアンダーグラウンド感があってこそのサブカルだと思っています。
そのマイノリティに憧れてステータスだとか勘違いして「サブカルになりたがる人間」というのが最近では増えてきているように感じます。
こうした環境では、こういった副次的文化は育ちづらくなってきているのかなぁとは思います。
全員が全員同じものが好きだ、という一種の監視されたディストピアのような社会にならない限りは必ず多数派と少数派というものは生まれ、そこに本流と支流というものは出現します。
だからサブカルというものは移り変わりはせど、完全になくなるということはないでしょう。
まとめ
サブカルとは何か、サブカルとはどういった立場なのか、ということを存分にお話しできたかと思います。
何度も繰り返しましたがあくまで副次的な文化であるので、それが本流になってはいけないし、なればそれはサブカルとは呼べません。
本文では特に触れませんでしたが、最近はアニメ好きなオタクに対してもかなり受け入れられる社会になっていると感じます。
もっと過去と比べればかなりマシだったとは思うのですが、それでも10年前は深夜帯のアニメを見る人間なんてのは学校のクラスに2,3人いれば多い方くらいの人数しかいませんでした。
しかし最近ではもっとライトな層までアニメを見るのが普通になってきているそうです。
そういった意味ではアニメオタクという存在も今や支流ではなく、本流としてのメインカルチャー化してきているのかもしれません。