先日の記事を書いた際にふと疑問に思った部分がありまして、それはネットでよくある煽り行為は「ある事象」に対してよりも「ある人間」が実行するパターンの方が多いよなぁってことです(出来事に付随するものではなく、人物によって起こされる能動的行為である)。
よくある言葉で 「一人一人がメンバーとしての自覚を持って行動しろ」 「自分が組織の代表として見られると思え」 ってのがあるじゃないですか。 あれって何も、組織→個人への一方向のなものじゃなくて、双方向性のあるものだと[…]
煽りとはまた少し違いますが、同じくネットで行われる炎上も総スカンを食らった挙げ句のものだと思われがちですが、その実全体の3%の人間だけにより毎回起こされているものなのです。
ブログやツイッターなどに批判的な意見が殺到する「炎上」騒動。それに関与しているのはネット人口の約3%だと文化庁が調査結果…
よって今回は煽り行為をする人間の共通特徴を事前に仮説立ててみて、煽ってきた人間に対して仮説を検証するように話を進めてみました。
今回立てた仮説は、以下の2つです。
- 煽り行為をする人間は現実世界に対するフラストレーションを溜めている
- 何らかのコンプレックスから逃れるために他者を糾弾している
煽り行為をする人間は現実世界に対するフラストレーションを溜めている
煽り行為というものは、得てして褒められた行為ではありません。
他者からは冷めた目で見られるものだし、同じ穴の貉同士で傷を舐めあいをできるのが関の山です。
今回の実験に関してはゲーム内で煽っていた相手に対して実施したものであるので、下記の論文から抜粋したものも有効であるでしょう。
興味深い記事を見つけましたので、皆様に共有します。 筆者のクリスティーン・ポラス氏はアメリカの名門私立大学、ジョージタウ…
以上のように、デメリットしかない行為をする理由としては理性的判断より感情的判断が勝った時です。
その捌け口となる場所をネット上での他人へとブツける選択をするような人物は、現実でも上手くっていない(=現実世界でフラストレーションを溜めている)と推測しました。
ネットで生きていると思い込む
ネット世界は現実世界の地続きの上で成り立っているものです。
これは何も実在するサーバーを初めとする機械が現実に置かれているといった話ではなく、スタンドアローンな設計がなされていないという話です。
しかし、そういった認識を持たないために「ネット人格の乖離現象」が起きている人は少なからずいます。
だから「ネットでは他人を傷つけても良い」という考えになり、画面の奥には自分と同じ人間がいるという当たり前の事実にまで考えが至らないのです。
これは「安全な場所からノーリスクで罵倒できる装置」としてインターネットが機能しているという勘違いの上で成り立つ認識であり、虚構のものと疑わない盲目的信者のような人間が陥りやすい罠でもあります。
そこで「相手は同じ存在する人間である」と理解させるための手段として実際に会う、文字ではなく声で会話するの2つを想定しました。
実際に会うことに関しましては物理的ハードルが高いために、通話ツールを使った「声で会話する」方法へと今回は焦点を合わせました。
検証:煽ってきた相手に通話を持ちかける
都合良く煽っていた方がいましたので、相手へとメッセージを送り通話ツールのIDを教えて誘導することに成功しました。
そこで実際に通話をかけてみたところ「通話はできないので、チャットで文句を言わせろ」と言われました。
この時点で新たに生まれた疑問が1つありました。
通話ツールへとほいほいやってきたのに、何故通話ができないとその後で述べるのかという点です。
はじめにこちらがメッセージを送った場所が公開された場所であり、通話ができないと言ってきた場所が1:1のクローズドな空間である。
これによって新しく生まれた煽り行為をする人の共通特徴として自分を知っている人間に過剰な見栄を張りたがるというものも見つかりました。
通話を持ちかけた時点でこちらが人間であるということは認識してもらえたと思うので、第二段階としての仮説への検証へと移りました。
何らかのコンプレックスから逃れるために他者を糾弾している
僕の好きな高橋和巳さんの著書「わが解体」の中でこんな言葉があります。
自己があたかもその悪から免かれているとみなす発想は文学にはない。
他者を糾弾することと自己の肯定とは決してイコールの関係ではないにも拘わらず、そういった幻想を持っている人は少なくありません。
例えば、他人を下げることにより自分の価値が上がったと思いこむ人などです。
評価軸を絶対的にではなく相対的には置くことから発生する誤解なのですが、どうも世の中には価値基準の画一化に対して理解の及ばない人もいるらしく、そういった人はこの幻想に見事にハマってしまうのです。そのような幻想中毒者が自分の肯定感を高めるために起こす行動というのが、他人への誹謗中傷です。
試し行動で自己肯定感を高める
試し行動というのはあまり聞き慣れない言葉かも知れませんが、言葉の通りに相手を試すための行動のことを指します。
わざと相手が嫌がるようなことをして気を引き、自らへの注意を集めることにより「自分はこの人(相手)から注目される価値のある人間なんだ」と思い込むことで、自分の存在理由を定義するような行動のことです。
分かりやすい例で言うなれば、小学生の男子が好きな女子に対して嫌がらせをするアレです。
この試し行動の何が良いかっていうと、簡単に自己肯定感を充足させてくれるところなんですよね。
プラスの出来事によって引く注意とマイナスの出来事によって引く注意が根本的に違うってのは冷静に考えれば簡単に思い及ぶところです。
しかし、これまでの人生で良い意味で自己肯定をされたことが少ない人間はこの選択肢を選んでしまいがちです。
家庭環境の不和が原因で不良へとなってしまうことや、学生時代にあまり恋愛をしてこなかったせいで大人になってから良くない恋愛をしてしまうこととか。
根本的なところを突き詰めるとここに辿り着きます。
煽り行為は試し行動の一種である
煽り行為はこの試し行動へと該当します。他人へと悪意を撒き散らし、それによる反応を見て自らのアイデンティティを確立する。
そのようにして歪んだ人格が形成されていき、自己肯定感を満たすためだけに負のエネルギーを放出していく。
一見して精神衛生を保つための有用なカタルシスにも見えますが、ベンサムの論を借りると最大多数の最大幸福に反しています。
中傷者(加害者)に満たされる多幸感に比べて他者の心理的快楽が汚染される割合の方が圧倒的に高く、社会全体に対してメリットのない行為です。
しかし試し行動をするような精神年齢の人間の前にはこのような理論は無価値であり、自分の価値こそが全てであるのです。
なので彼らの煽り行為をやめさせる方法なんてものはなく、大人になってくれるのを待つ他はないです。
検証:コンプレックスがあるのかを調査
相手を試すことによって自分を満たす人間とコンプレックスの有無との間に相関関係を推測し、それを元に過去の発言を洗ってみました。
煽ってきた人間に対してこんなこと言うのもアレですが、見ててちょっと可哀想に思えたので名前は隠しました。
以上4つの発言によって
- 自分に自信がない
- リアルで辛さを共有できる相手がいない
- 中卒で働いていて周りから褒められる環境にない
- 仕事で尊敬されたい(現在はされていない)
というコンプレックスが炙り出されました。
※但し書きしておくと、以上のコンプレックスを彼が持っているというだけで、該当する方々を批判する意図はありません。
日付を見ていただければ分かる通りにここ10日間の発言だけでこれですので、全部遡るととてつもない量になりそうですね。
これによって「コンプレックスがある」という仮説は実証され、先ほどの煽りが試し行動と併せると、何らかのコンプレックスから逃れるために他者を糾弾しているという推測は正しいと言えるでしょう。
実験を終えての結論
今回立てた仮説はいずれも立証することができたので、今回の件に関しては正しいと言えます。
無論、煽りをする人間ってだけで一括りには出来ませんので一概に言えることではないのですが。
まぁそれでも大凡の傾向としては当初立てた
- 煽り行為をする人間は現実世界に対するフラストレーションを溜めている
- 何らかのコンプレックスから逃れるために他者を糾弾している
に加えて
- 自分を知っている人間に過剰な見栄を張りたがる
に沿ったものであることは確かでしょう。
以上の点を踏まえて今回の最終的な結論は、このようにさせていただきます。
結論であり、教訓です。